夏の夜は暑い
暑いこの夜長に一つ、大事なものを諦めた。
心が空っぽになってしまった。
いつもだ。
僕は何度目だ、心を空っぽにするのは。
いつも心をリセットしなきゃならないから、僕の心はいつも総入れ替えをして新品にしなきゃならない。
だから良い言い方をすればいつもキズ一つ無いまっさらになってしまう。
悪い言い方をすればいつも前回の引き継ぎがないから、進歩が遅い。
麦酒特集 file037
これはヤバい。
新ジャンルも各社の真打ちが出揃おうかとしている中、キリンの底力を見せつけるような逸品だ。「コクの時間」とネーミングもデザインも洒落ている。
発泡酒のナチュラルさだけではビールに歩み寄る限界をメーカーも愛飲者も感じ始めているので、ここのところ新ジャンルの勢いが不景気さに反比例して増している。
新ジャンルは発泡酒に比べると規制が緩いので味わいの自由度が高いけれど、冒険しすぎると不自然なアルコール感や添加物の印象、また人工的で嫌な甘さが前に出る。そのためナチュラルな発泡酒で我慢をする保守層があるわけだけれど、どうだろう。
ここのところの「クリアアサヒ」や「麦とホップ」や「ストレート」などの新ジャンルは人工的な違和感がほぼ無い。
スタートラインをそこで一旦リセットして各社は競争を始めたようだから非常にレベルが上がっている。
田村正和氏のCMでウリにしている「ビールと間違える」というのももう決してオーバーな表現ではない。
そんな中でも僕の個人的な趣味でここのところ最も愛飲するのが「クリアアサヒ」だったわけだけど、この「コクの時間」はそれを超えてしまった。
もちろんあくまでも、僕の好みである点とビールに近似しているかそうかという点での判断だけど。
飲んだ第一印象は「あれ?これはビール??」だった。それ以外に適当な言葉というか所感はなかった。
ジョッキかグラスでこれを出されると、9割以上の人はビールだと思うだろう。
もっと言えば “ビール感” は発泡酒なんかだともう近づけない領域にまで達してきた。
次に驚いた印象は、これをプハー!と飲み終えた後、いつものように麦酒特集用に買う新商品と一緒に買う、お口直しの「クリアアサヒ」を飲んだ印象。
決して否定はしたくないくらい気に入っている「クリアアサヒ」なのに、
「薄い!こんな味だったっけ?!?!」
だった。
まずくはない。当然美味しいんだけど、あの充実新ジャンルのクリアアサヒよりエッジがしっかりとしていて方向性がはっきりとしている。
キリンの底力というのをナメてはいけないと思った。
近頃、マグロが食べられなくなるかも知れないという報道を見る。
やはり本マグロ(の、特に中トロ!!)に替わる代打は無い。
本マグロのあの味や香りやコクで代替が効く魚が他にないだけに騒がれる訳だけれど、もし同じようにもしビールが無くなってしまうような事態に陥ったとき、このくらいのレベルの新ジャンルがあると大きな不満は無いのではないだろうか。
超おすすめだ。
望郷
先週末、人と会う用があったので久々に付けようかと思って出した腕時計。
Agnis b.のシンプルなデザインウォッチ。
新婚の時に女房と自分に買ったペアの時計で、離婚をした今でもシンプルで気に入っていて大切にしているので、それを付けて用事のために車に乗って出た。
出てからふと時刻を見ようと時計を見たら、止まっていた。
11時51分53秒で。
その時間になんの思い入れもないけど、電池を交換してあまり経過していないし最近まで動いていたもんだから少し驚いた。
でもいい。
付けていると気分がシャキッとするので、そのまま付けておいた。
予想せず時計が止まるのって、なんだか不思議な気分だ。
何かが吹っ切れたような、そんな虚空の心境と言えば少し大げさだけど。
今日の昼頃、僕の祖母が亡くなった。
色々な事情があって、うちの母とは仲が良くなかった祖母だけど、僕は大好きだった。
小さい頃に、足が良くなかった祖母を無理矢理連れ出して釣りに行った思い出は今でも忘れないし、祖父から割に厳しくされた僕を庇って祖父と喧嘩もたまにしてくれもした。
また彼女が出来た時、調子に乗りすぎて金を無駄遣いしすぎた僕に10万円を無期限で貸してくれたりした。それは結局返せなかった。
そんな情にも懐も深い祖母だった。
数年前から痴呆が激しくなってきて、もう家族のことや自分のことまでも全く分からなくなった祖母。
僕はこんな時に役に立たない人間で、世話になってきた大好きな祖母なのにもかかわらず、僕のことも完全に忘れ養老院で過ごす祖母に会うのが怖くて、行かねばならないといつも思いながら、ずっと行けないでいた。
看護師の姉はその点しっかりしていて、たまに世話をしたり様子を見に行っていたけれど、祖母にわがままを言ったり遊びまくって困らせていたのに可愛がられていた肝心の僕は結局何年も会うことなく、お別れになってしまった。
まったく情けない。
通夜が明日なので今はとにかく、家で祖母の死を悼むことと、こうしてブログを書きながら思い出に浸ることしかできない。
葬式には祖母へ心からのお詫びと感謝を伝えよう。
From Dusk Till Dawn
子供の頃って、親や近所の大人に守られていた。
子供は皆、伸び伸びと暮らしてストレスや心配など入る余地が無くて、そんな物を知りもしなかった。
毎日友達と暗くなる前まで遊び続けて、家に帰ると両親(僕の場合は母子家庭だけど)が待っていてくれて、夕食を食べながら学校であったことや友達の愚痴や先生から教わった雑学なんかを自慢げに話していた。
親もそれを「うん、うん」と聞いていてくれたりしたし、意見もしてくれた。
いつの間にか自分が、その時分の親の年齢になってしまって、親のスネをかじったり頼ってはならなくなった。
毎晩、心地よくぐっすりと寝て、楽しい夢を見たりして、次の日にまた元気に学校へ行く。
子供の頃の一年って、まるで永遠のように長く感じられた。毎日楽しかったのに長かった。今のように生き急いでいなかったからだろう。
こんな毎日がいつまでも続くものだと漠然と思っていた。
理屈では、一年過ぎれば一歳年を取るくらいのことはさすがに分かっていたけど、それに反して、楽しい毎日はずっとずっと続くものだと思っていた。
まだ早いと言われるけど、そして前にも書いたけど、本当に最近、「死」を意識し始めた。
体のいたる所の機能が不全だし、どことなく調子も悪い。目もかすんできたし関節の全てが痛む。思考もたぶん最近までくらいがピークで後は降下の一途だ。
その代わりに情緒の部分だけが成長を止めない。
昔の人と同じものさしで今を生きる人の時間の経過を測ってはいけないと思う。
それぞれの時代で皆、生きるスピードが違っていて一概に○歳はまだ若いとか言えなくなってきている。
あと一日でいい。
今よりも時間がほんの少し緩やかに流れていた幼少の頃に戻って、家族で夕食を共に囲んで取り留めのない話をしてみたい。
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